誕生日を外国でぼっちで過ごした話
様々な文章に「誕生日なのに」をつけると途端に悲しくなるという魔法に気付いた。
私は本日という日をいつもと変りなく平穏に過ごした。誕生日なのに。
色んな人が誕生日おめでとうとメッセージをくれた。
サークルの友達や先輩後輩、中学の同級生や日本の大学にいた頃の友達、家族、等々…。
大抵の人は「お誕生日おめでとう!素敵な一日にしてね!」のような文章で送ってくれる。「一日」のところが「一年」だったり、「素敵な」の部分が「楽しい」だったり大体がその程度の差である。
「素敵な一日」か…。
先ほど書いたように私はいつも通りの平穏で何の問題もない一日を過ごした。誕生日なのに。
朝起きて学校に向かい授業を受けて終わると真っすぐ家に帰ってきた。誰もいない一人の家に帰ってきた。
それから私は芋をふかし、皮を剥いて食べた。
そして課題を片付けた。
どうして私が今日このような一日を送ることになったのだろうか。
それは、色んな人が誕生日を祝ってくれたにも関わらず、一番近くにいる友達、それも毎日のように一緒に過ごしている友達(所謂イツメン)に誕生日であることを気付かれなかったからである。
私は朝授業で顔を合わせいつも通りの対応をする彼女達を見て、お?と思ったもののまだ少し希望を持っていた。
もしかすると夜になってケーキを持った彼女たちが突然うちのチャイムを鳴らすのではないか?と考えた。
しかし、夜8時半を過ぎた今も何の音沙汰もない。
課題の範囲がどこまでだったかカトクできいてみることにした。
「~までだと思う!」
普段通りの何の変哲もない返事が返ってきた。
さらにインスタを開きストーリーを見ると別の友達と優雅にワインを嗜んでいた。
まったく気付いていない様子である。
ま、そういうこともあるよね、と思うことにした。思うしかない。忘れよう。私が1歳歳を取るというだけの話だ。他人からしたらそれはそれはどうでもいいことである。
………
しかし、信用問題だ。
誕生日というのは金の次に大きな信用問題であることに気付いた。
一番近くで仲良くしていると思っていた友達に誕生日を祝われないというのは、たったそれだけのことで疑心暗鬼に陥るらしい。
誕生日という日をこれだけ重要だと考えたことはなかった。
それは恐らく今まで家族と一緒に過ごしてきたからであろう。
友達に祝われなくたって家族が祝ってくれた。それで十分満足だった。
しかし異国の地で家族も誰もそばにいない今誰が私を気遣ってくれるだろう?
そう思うと色んなことが思い出されてきた。
自分の誕生日が近付くと連絡してくるくせに今日は何の連絡もないアイツ(兵役中)や、わざわざ私のアーカイブ投稿を探っていいね!してきたくせに誕生日には何も言ってこないアイツ(幼馴染)等々。
一人でケーキを買いに行く気にもならないしカラオケに行く気にも酒を飲む気にもなれない。残り数時間どうやって過ごすかな。あんまり悲観的にならないようにしたいものである。
P.S
イツメンの子は今やっと気付いたらしくメッセージでお祝いしてくれた。遅い…!遅いけどギリギリセーフやぞ。ありがとな!!!!!